アメリカ人の接客は自由で適当で、個人差が大きい。

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この記事の結論
アメリカ人の接客は自由で適当で、個人差が大きいが、それはアメリカ人の気質や性格だけによるものではなく、労働条件や格差による労働観の違いもあると思う。
この記事の目次
  1. 日本人が驚くアメリカ人の雑な接客例
  2. 雑な対応は私にだけでは?
  3. なぜ対応に差が生まれるのか?
  4. 感想

アメリカ生活で驚いたことはたくさんありましたが、その1つに、「スーパーやお店、ファストフード店などの接客態度が店員によって大きく異なる。」ということがあります。

「日本だってそれくらいの差はあるよ!」と思うかもしれませんが日本とは次元が違うほどの差があります。日本ではお店で店員として働いている以上、そのお店の最低限の勤務ルールとか、接客マナーやマニュアルのようなものがありますよね。たとえ見習いや初心者マークがあったとしてもお客さんへの対応を一生懸命やろう、という気持ちが見えたりしますよね。

アメリカの場合、その最低限の下限が笑っちゃうくらい低いです。
「よくこれでお金(給料)がもらえるなぁ」というレベルです。
では私が見てきた接客をいくつかご紹介します。

日本人が驚くアメリカ人の雑な接客例

スーパーマーケット編

大きなスーパーで、探しているものが店にあるかどうか、あるとすればどこにあるか知りたくて近くの店員に聞いたとき、
店員A「わかりません。」
私の心境(えっ、わかりません、ってなんだよ。ん、オレの英語が下手過ぎてわからない、ってことかな。)
店員B「わからない、けど店員Cならわかるかも。」
私の心境(お、おぅ。最初が強烈過ぎて前進したことに喜ぶ。)
店員Cもわからなかったので店員Dに聞いてようやく見つかる、という。

こんなことがまぁ普通にあります。

レストラン編

私「これとこれはセットにできますか?」
ある日の店員A「もちろん、できますよ!」
違う日の店員B「すみません、できません。」
また別の日の店員C「ん~、できるかどうかちょっと聞いてきます。」
で結果としては、できた。
注目すべきは店員Bですが、こんなことも普通にあるのがアメリカです。

ちょっと店員Bについて考えてみると、おそらくこんな理由で「できない」と言ったのではないでしょうか。

  • 独断で考えてできないと判断
  • ただ面倒だったから「できない」と答えた
  • 以前、他の店員に確認したときできなかったから

ここで問題なのは3つ目です。1つ目2つ目も私からすればもちろん問題ですよ。でも3つ目が重要なんです。ではなぜ3つ目が問題かというと、確認したときに答えた店員も1か2、もしくは3の理由でできない、と答えたかもしれないからです。

適当の連鎖!
根本的な何かが見えてきたような気がします。

雑な対応は私にだけでは?

ここまで読んでいただけた方にはある疑問が出ているのではないでしょうか。
「問題があるのは店員のほうではなく私なのではないか」と。

それは当時、私も感じた疑問です。こんな対応をされるのは

  • 私の英語が通じていないから
  • 私が日本人(アジア系の外見)だから

ということで、とても気になったので当時確認したんですよ。そしたらアメリカ人の客、白人、黒人に対しても同じような対応でした。

とにかくそれが普通だとわかってよかった。よくないけどよかった。笑。

なぜ対応に差が生まれるのか?

どうして同じお店のスタッフで対応がこんなに違うのか?単純に「アメリカ人の性格」だけではないような気がしたので私なりに考えてみました。

これまで触れてはいませんでしたが、実はこの対応の差はどんな種類のお店やオフィスでも同じように発生しているわけではありません。この対応が発生しやすいのは低賃金の職種においてです。ちょっといいレストランや高品質の商品を扱っているようなお店で雑な接客を受けた記憶はありません。

労働者の質

まず思い当たるのは、労働者の質の差が日本に比べて大きいことです。

悪い意味で受け取らないでくださいね。スーパーやコンビニ、飲食店って比較的誰でも働ける部類の仕事ですよね。それは日本でもアメリカでも似たような部類だと思います。だから、というわけではありませんが質の低い労働者が集まりやすい傾向にあるのは否定できません。(もう1度言いますが、スーパーやコンビニ、飲食店でも高い意識と質を持って働いている人は日本でも、もちろんアメリカでもいるので決して悪い意味で受け取らないでください。)

で「質の低い労働者」の質の低さが日本とアメリカではだいぶ違います。

日本で「質の低い労働者」ってどんな人だと思いますか?最終学歴が高卒でしょうか?中卒でしょうか?それとも最終学歴に関係なく学校で成績がよくなかった人でしょうか?仮にその人が中卒で、かつ成績もよくなかったとします。性格による話下手や人付き合いが苦手、などがあったとしても、おそらくその人は普通に、最低限の、適切な日本語を話すことができて、日本語の文字を読むことも書くこともできますよね。

でもアメリカでは違います。第一言語が英語にもかかわらず、正しく適切な英語を話せない、読み書きの能力が著しく低いアメリカ人が意外といます。小さい頃から十分な教育を受けてこなかった、受けられなかった、そして大人になっても受けられていないまま(アメリカでは大人になってから学校で勉強をすることはよくあることです。)でいるため、言語分野以外においても能力が比較的低い大人がいます。日本だとそんな人が接客業務として雇ってもらうのはとても難しいでしょうが、アメリカでは(もちろん雇い主によりますが)雇ってもらえているのだと思います。

感想

私にとって不思議なのは、雑な対応だけではなく、雑な対応を客も許容できていることなんですよね。
質問して
「できません。」
「わかりません。」
という返答がきてその返答に対して、「なぜ?」「どうして?」といった追求や怒りの気持ちではなく、普通に
「わかった。」
「オッケー。」
でやりとりが終了しているところなんですよね。

この寛容さというか、執着のなさというか、いや、ただ寛容でも執着でもなく何も考えていないだけかもしれませんが、いずれにしてもこの対応、慣れると嫌いにはなれなかったので、これがアメリカなのかなぁ、という印象です。